ホメテヤラネバ

見たもの聞いたものを褒めるブログ

さらざんまい③

 気がついたらまた一か月更新してなかったよね。普通に別のことしてた。主にボロスフェザーを回すのに忙しかった。

 ネタが貯まる一方でよくないね。

 

 今回もまたさらざんまいの考察。前回のが途中なままだったから。

 主なテーマは謎のアイテム「機械の心臓」について。

 

機械の心臓

 で、これがかなり曲者っていうか、ほとんど作中で説明されないから、言葉のチョイスから推測するしかないんだよね。普通に意味不明ガジェットなんだけど、でもスルーできるようなもんでもないし。

 なんて言うんだろうな~。あくまで「マブを蘇らせる、条件付きの道具」ってだけなら、たとえば「闇の身体」とか「生の人形」みたいなネーミングでもよかったわけで。でも何か、「機械の心臓」じゃなきゃいけなかった理由があるはずなんだよね。

 

 んじゃ「機械」「心臓」って単語を単体で考えればなんか判るかっつーと、すぐに連想できるものはないよね。カッパと喝破、ウソとカワウソのようなわかりやすい言葉遊びは含まれてない。

 ならお手上げか? いやいや、ちょっと待って欲しい。

 「心臓」ってなんだ? 人体にとって一番大事な「内臓」であり「臓器」だな?

 「機械」にしておれたちの「臓器」……そう言われて思い浮かぶフレーズはないだろうか。

 

 そう。

 スマホはもはやオレの臓器。

 


キュウソネコカミー「ファントムヴァイブレーション」PV

 

 悪い冗談だと思うでしょ。どう考えても関係ないもんこのバンド。

 幾原邦彦がこれを知ってるっていう明確な証拠もないし、あくまで「偶然の一致」ってことにしておくのがスジだと思う。

 でもなぜか、一致しちゃうんだよね。「スマホ=機械の心臓」ってことにすると、作中の描写の意味が見えてくるようになるんだ。

 

 

スマホってなんだっけ

 もちろん、カワウソがマブにiPhone埋め込んで終わり、ってことにはならない。あくまで、「スマホによる社会的影響」が、機械の心臓のギミックに投影されているってことになる。

 じゃあ、社会的影響って何か。それこそキュウソネコカミーが言ったみたいな、依存症の問題もあるとは思う。ただそれは今回置いておこう。機械の心臓とダブる部分として、「インターネットと通信機器によって、おれたちは生まれ変わるチャンスを得た」ってのがまず一つだ。

 突飛なようだけど、身に覚えがある人は結構多いと思う。もうちょっと解説しよう。

 

 人によってはナローバンドとPCの時代からやっていたことだけど、Wi-Fiスマホが普及したことで、おれたちはネット上でリアルとは別の名前を名乗り、別のコミュニティに加わり、別の連絡先や、別の経歴を作ることができるようになった。それはもはや、新しい人間として生まれ変わるのも同然だ。

 極端な話、現実には引きこもりになってようが前科者だろうが、ネットで現実の名前を出さなきゃそのへんのカルマは基本帳消しになる。そりゃ中には炎上して鬼女板で特定される人もいるけど、基本そんなことはない。もしそうなったとしても、理論的にはさらに別の名前でネットに戻れば、また生まれ変わることができる。

 ちょっといま手元にないから正確に引用できないんだけど、この辺のことは落合陽一も言ってたはず。スマホで人は新たな生を得ることができるようになった、って。

超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

 たしかこの本。

 

 ただネットの世界も決してユートピアじゃなくて、現実以上にウソが横行してる。現実だってウソは多いけど、やっぱりネットの方が溢れてると思う。昔のマスコミが真実を教えてたかって言われたらイエスとは言えないけど、ネットなんか誰もがウソ垂れ流して拡散できるからね。しかもマスコミ以上に責任追及が難しい。

 

 以上まとめると、スマホってのは「ウソの世界に生き返らせることができる機械」ってことになる。

 

 

ネットに心を捧げたら

 マブはまさに、ウソの世界に生き返った。

 元々いたカッパの世界から完全に脱却して、ウソの尖兵と化した。人の欲望を煽ってカパゾンビを作って、カワウソになんらかのエネルギーを捧げていた。このエネルギーは、他人を嘲笑する話題あたりを指しているんだと思う。カパゾンビの欲望は、バレたら笑われそうなヤベェ性癖ばっかりだったしね。

 

 ぶっちゃけマブも「同僚の男を愛している」っていうヤベェ性癖を持ってるわけだけど、そのことはおくびにも出せない。出したら、第二の生が終わる(ネット社会から弾かれて死ぬ)から。

 機械の心臓だと判りやすく爆発して死ぬことになってるけど、現実でもネットでも、似たようなことになりうる。爆発はしないけど。炎上して干されて、社会のつながりから弾かれる。社会から放り出されてしまえば、ポリス的動物として死んだのと当然だ。

 だからマブはレオへの愛を隠さざるを得ないんだけど、決して愛が消えたわけじゃなかったんだよね。社会からどう思われるかに関係なくレオは愛を求め続けて、マブが打ち明けて社会から抹殺されて、レオが追いかけてって二人で社会の外側でつながる。実質駆け落ち。ラブラブだなおまえら。

 こうして考えるとカワウソって、パノプティコン的監視の概念でもあったんだろうね。集団圧力っていうか。無言の社会意識の集合体。人間のホントウの姿と摩擦を起こす、ズレた規範だ。そうするといっそう、概念って言い方が腑に落ちてくる。

 

 

 あとこれちょっと話題逸れるんだけど、序盤にカズキとハルカがこじれたのも、要はネットのせいだよね。カズキが自分以外の存在になりきろうとしなきゃ、あんな面倒にならなかったはず。

 そんなことしないで、自分で自分としてコミュニケーションを取る分には、いい道具として描かれてるけども。三人組がグループライン作ってるみたいにさ。

 

 

三連続で考察記事書いてみて

 さらざんまいって神アニメっすね。

 ざっくりあっさり見ても派手な演出と尖ったキャラクターが面白いし、複数のバンクを使いまわすことで製作面での無理を抑えてるし。

 こうして考察してみると、メタファーの明快さと展開の無駄のなさ、さらに隠された社会へのメッセージまで読み取れる。

 非の打ちどころがねえよな。最高の作品だった。幾原邦彦ほんまありがとうな。